taro-h’s diary

たろログ

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「もったいない」という気持ちの危険性と、捨てることの大切さについて

気になって買ったけど、結局読まない本がある。いつか読もうと思って本棚に並べっぱなしになっている。心のどこかで、「早く読まないとな」という気持ちが高まってくる。

そのうち、この気持ちが「早く読まねばならぬ」という義務感に変わった。

そして、ちょっとした空いた時間にその本を開く。読み切る。読み終わったという達成感とともに、その本を処分する。

 

しかし数日後、この本の印象は今まで読んだ本に比べてあまりに薄かったし、内容も覚えていなかった。

普通、本当に読みたい内容であればすぐに読んでしまうものだろう。漫画などでは「ついつい読んでしまう」という現象が発生するし、技術書などでもそう。プログラミング作業などでも発生する。

今回の本のように、「いつか読もう」ということで本棚に並べてしまう本は、すなわちその内容に興味がない本なのだ。

その本を「せっかく買ったし」とか「途中まで読んだし」とかいう気持ちで本棚においておく。
「いつか読もう」と思う気持ちは、いつしか「タスク」として自分の中に定期的に引っかかる存在になっていた。その本が目に付くたびに、「読まないとな」という気持ちになる。

すでに本を読む目的が、「知的好奇心を満たすこと」から、「1冊本を読み終えるという目的を達成し、達成感を得ること」に変わっている。

だから、本を読み終わったら達成感を得るものの、読んだ内容に対する印象は薄くなる。

そもそも、読んでいる最中も非常に目が滑っていた。わからないところを掘り下げて調べながら読むこともせず、わからないところはわからないまま何となく読み進めていた。

「何を書いてあるのか理解すること」よりも、「本を一冊読むこと」が目的になっているので、これは当然のことなのだ。

 

で、なぜこのようなことになるかと言えば、「もったいない」という気持ちがあり「捨てない」という判断をしたからとなる。

今回は本だったが、食材や家具、道具などにも当てはまる。

「食材を捨てるのがもったいないから、あまり食べたくもないけど仕方なく食べる」

「スポーツ用品を買って、あまり自分には向いてなかったけど、高かったし一応継続する」

「道具を買った。当てが外れていて、正直あまり便利にはならなかったけど、買ってしまったし使い続ける」

 

「もったいない」という気持ちに引きづられてのこのような判断によって、お金や時間を無駄にしてしまうことが往々にあるように思う。

ゴルフあんまり楽しくなかったけど、道具を揃えてしまったので何となく継続するとか。

 

ということで、いつか読もうと思っていた数冊の本は処分することにする。
数か月~1年読んでいない本ばかりだ。本当に読み直したくなったら、その時買いなおせばいい。