taro-h’s diary

たろログ

ブログです。近況報告とか振り返りとかとか

スキルアップを求める人も、大企業に入りたがる人も、結局は「安心」を求めているのでは?

「安心」志向って、どっちかというと大企業志向の求職者に対して揶揄する意味でつかわれる言葉のような気がする。

けど、「スキルアップ」というのも、詰まるところ求めているものは「安心」であるような気がしてきた。

スキルアップという言葉はポジティブに、「安定」とか「安心」は労働市場ではややネガティブな印象があるような気がする。

若者が大企業に入りたがると、ちょっとがっかりする人種の大人がいる。
ベンチャー企業へ入社するような学生は囃し立てられる

今の若い人は、成長意欲が高いと言われる。それはずばり、将来不安が大きいという影響があると思う。

昔は大企業に入れば安心という時代だったと思う。終身雇用という未来が確定して、不祥事とかよっぽどのことを起こさなければ食いっぱぐれるとか、そういう可能性は極めて低い(ように思える環境だった)。

今の若者は大企業志向が薄れている人も多い。
でもそれは、「大企業に入れば安心」という価値を大企業が提供できなくなったために、別の安心、「スキルアップして、どこでも働けるような人間になる」という安心へ移動しただけで、本質的には何も変わっていないのだろう。

それが悪いということではない。でも、それを何か違うものであると認識することは誤りだったのだろうなと思う。

あと付随して、「スキルアップできる環境の会社」というのも人気がある。
求人を見ていると、「スキルアップできる環境」と謳う求人は多い。

スキルアップできる環境って、一種の「安心」という価値を生む。
たとえ割に合わない仕事であっても、そこで働く人が「ここで働いていれば手に職がついて、今後安心だ」と思い込めば、働き続けてくれる。

実際に「手に職がついて、食っていける」かどうかは大事ではなくて、労働者がそういう風に思い込んでくれるかどうかが大事となる

これが、最近の求人広告に「成長・スキルアップスペシャリスト」ってワードが並ぶ理由でもあるんじゃないかなと思うんだけど。

若干食傷気味なところがある。

スキルアップできるという『安心』を与える」ということが、若手を安く使いこなすコツなのかもしれないなと思う。

大企業に入社して、数十年にわたる安定雇用と高収入を得るために若いうちは頑張るという選択を半ば馬鹿にしていたところがある。

けど、スキルアップにこだわって、自分の技術で食っていくんだ!という考え方も、突き詰めると求めているのは「安心」だよなと思って、馬鹿にしていた自分が馬鹿だったなと思った。

スキルアップを餌に人をこき使う会社は、「明るいブラック企業」という言葉がよく似合うだろう。

「明るいブラック企業」というのは、その安心をうまく利用して割に合わない激務をさせる企業。

スキルアップするからということで人を集めて、安い賃金で人をこき使う企業。

そんな企業、割と身近だよなと思った。

スキルアップとか成長に「こだわる」というか、盲目的になると落とし穴があるなと思った今日でした。